07/26/2006

南カリフォルニア州、レドンドビーチ
ビル・マイストレルはウォーターマン、ライフガードのパイオニアでした。彼の発明、才能、開発によって、サーフィンやダイビングは世界的なブームとなり、10億ドル規模の産業へと発展しました。
ビルは、カリフォルニアのランチョ・パロス・ベルデスにある自宅で、家族や友人に見守られながら、7月26日火曜日にパーキンソン病のため77年の生涯を閉じました。
ビルと双子の兄弟であるボブは、サーフィンとダイビングの両方で殿堂入りしたウォーターマン3人のうちの2人です。ミズーリ州のブーネビルにおいて、ビルは1928年7月30日、ボブはその20分後の7月31日に誕生しました。2人は子供の頃、農場の池で、ヘルメットとして石油缶を頭にかぶり、自転車用の空気入れとホースからのエアでダイビングをしていました。ミズーリの田舎で、二人は大きな夢を抱いていました。ボブは当時を振り返って言います。「僕らには子供の頃、3つの夢があったんだ。潜水艦を持つこと、深い海に潜ること、そして宝探しをすること。なんとか3つとも夢を叶えることができたよ」。
2人がまだ4歳の頃、彼の父親はかつてのビジネスパートナーに殺されてしまいます。1942年、ビルとボブは、母親と2人の兄、3人の姉と共にマンハッタンビーチへ移り住みます。ビルはレドンドユニオン高校へ進学し、Elセグンド高校を1947年に卒業しました。朝鮮戦争に出兵したビルは、ブロンズ・スターを受賞しました。その後2人は、1940年代にロサンゼルスカウンティでも初めてのオーシャンライフガードのメンバーとなり、また、カリフォルニアにおけるサーファー兼ダイバーという新たな世代の一員として、後世に輝かしい道を開いたのです。
ビルは1953年に、弟のボブ、伝説のサーフボードメーカーであるハップ・ジェイコブス、有名なサーファーでありダイバーであるベブ・モーガンと共に、レドンドビーチにあったDive N'Surfという小売店の株主となりました。Dive N'Surfは、ロサンゼルスのサウスベイエリアにおいて初の、そして最も歴史あるダイビングショップでした。1958 年、ビルとボブは同店の単独オーナーとなります。1953年にビル、ボブ、パートナーのモーガンが共同で、初の実用的ウェットスーツを開発したことはよく知られています。このウェットスーツはサーフィン、ダイビングに革命をもたらしました。この時ビルがつけた「グローブのようなフィット感」というキャッチフレーズから、Body Gloveが誕生しました。ビルもデザインに加わったというBody Gloveのロゴマークであるスケルトンの手型は、世界的にもよく知られたロゴのひとつとなっています。
Dive N'Surfの成功をハリウッドも見逃しませんでした。特別顧問として、ロイド・ブリッジスを一躍スターにしたテレビ番組「Sea Hunt」に、潜水用機材やカスタムウェットスーツを提供しました。ブリッジスが着用したカスタムウェットスーツは、彼のキャラクターに不可欠なものとなりました。それ以来、ビルとボブは数多くの映画制作に参加しました。また、ブリッジス一家だけでなく、ゲーリー・クーパー、ヒュー・オブライアン、チャールトン・ヘストン、ジル・セント・ジョン、リチャード・ハリスらにダイビングを教えました。ビルと彼の息子であるビリーは、LAレイカーズの伝説のバスケット選手であった、カリーム・アブドゥル=ジャバーにもカスタムウェットスーツを提供しました。ビルはまた、北カリフォルニア海岸沖で難破船ブラザージョナサン号から何百万枚もの金貨を発見しました。
ビルは、文字通りのウォーターマンでした。2003年には弟ボブと一緒に、SIMAウォーターマンズ・ボールにてライフタイム・アチーヴメント賞を受賞しています。ビルは、妻ロリー、前妻のジャッキー、息子のビル・ジュニア、娘のジュリー、孫8人を残して亡くなりました。
ビル・マイストレルの追悼イベントを10月1日の日曜日に開催します。レドンドビーチのアベニューCで9時からパドルアウト、その後、レドンドビーチのシーサイドラグーンでレセプションを行います。ビルについて語り合いたいという方であれば、どなたでもご参加ください。
ビル・マイストレル追悼イベント
レドンドビーチのアベニューC(Esplanade/Avenue C)より9時にパドル/ダイブ/ボートアウト
11時よりレセプション開始。
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